「釣り」という遊びに人生ごと飲み込まれた哀れな男の愉快な記述。

ブラックバス・トラウト・オフショア! ハンドメイドルアーの専門店 ルアーショップ「ギジェット」
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2007年 12月 30日 (日)

4枚の写真で語る岩出の虎史。〜覚醒中学編1〜


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2 この写真は57cmを釣った後日、若干水位が減っている。釣った当日は木のちょっと上まで水があった。
みなさんこんばんは、虎です。

前回に引き続き虎の歴史を4枚の写真とともに語ろうと

思います。今回は虎にとって一番の転機であった

中学時代についてのお話です。

前々回に話しましたが僕は中学に入ってすぐにソフトテ

ニス部に入部しました。

ちょっと本気で部活していたので中1の頃はあんまり

釣りに行く機会がありませんでしたがちょくちょく友達と

釣りに出かけてはいました。

この頃になると前回の写真に出ていた小学校裏にある

大池という池が釣れなくなってきて新たな釣り場を探

さなくてはなくなりました。

その頃に見つけたのが旧中の池・奥の池と春日川です。

先に春日川について話しましょう。

一枚目の写真。ごらんのとおり鯰を持つ虎の図です。

春日川は紀ノ川の小規模支流でかなりの小規模河川ながらコイ、フナ、

ナマズ、ライギョ、オイカワ、カワムツ、ウグイ、ヨシノボリ、ドジョ

ウ、カマツカ、バス。そしてアユの存在も確認されている。

何故わかるのかというとこの頃(中2)の虎はひたすら淡水魚に興味があ

って実際に川の中に入ったりしてかなり詳しい生態調査をしたから

である。

この春日川の一箇所にだけなぜか大型のバスがうようよ居たのである。

見つけた当初は40upすら数えるくらいつったことない自分が一日に

3本も40upを釣り上げていたくらいのスレてなさだった。

そしてこの春日川とならんで自分のこの先の道を決めたのが旧中の池・

奥の池の存在である。その池は中学校の北のほうにあって、

ある程度山の中にあるいわゆるリザーバータイプ野池である。

口の池・中の池・奥の池の三段池だったが特に中の池・奥の池は

すごかった。

この池は実兄が自己最高記録を釣っていて兄に教えられ存在を知った池

である。(兄の最高は53cm)

ここのすごさは半端なかった。50以上が当たり前に居た。

実際ここで何匹ものデカバスを当時の虎はバラしている。

しかもこの池は地形変化に富んで足場が不安定な場所が多く、また水草

や浮き草なども大量にあったため魚を取り込むのにかなりの技術が

要求された。

そして中二の6月の終わり頃。あのときの記憶は鮮明に覚えている。

8時くらいから奥の池に入り始めた。

本来奥の池は満水状態だと池を全周できないのだが、減水していてかな

り広範囲を自由に探れる状態だった。

当時満水だった奥の池が急に減水し始めて不信感はあったがまぁそんな

に気にはしなかった。

ちょっと周ってすぐに100均のシャッドに46センチがかかっておお

はしゃぎした。当時の自分の最高記録を更新したからである。

そのときうれしさの余りに兄にメールしたのを覚えている。

確か兄からは「お前も45upつれるようになったか早く俺を超えろよ」

的な内容のメールをもらったと思う。

そのときの虎の携帯はカメラがついていなかったので、記録は普通の

カメラで行っていた。

そしてフィルムをこの魚で使い切ってしまうのである。

この46センチの写真は今でもある。

そのあと適当に釣りを続けていて、10時くらいになった。

自分はベイトに100均のクランク(改)をつけて投げていた。

対岸に倒木っぽいのが沈んでる(写真2)な、とおもってその方向に投げ

て巻き始めた。次の瞬間、竿が重くなった。

うお!きたか!?

と、思ったがその倒木の枝に引っかかったようだ。

しばらくすると枝ごと折れて自分の手元に帰ってきた。

枝をはずしてまた同じ方向に投げた。

するとまたグッと竿が重くなった、しかし全然引かない。

また枝か・・・と落胆し巻き上げてくる、本当に引き味なんてものは

なかった。ひっかかったソレが何なのかに気がついたのは自分の前方

5mくらいまできてからだった。

見えてきたのは

「バス」

そしてそいつは今まさに反撃を始めようとしていた。

それを目撃してから少しの間自分に記憶がない、というか

思い出そうとしてもいろいろ考えすぎて混乱してしまうのだろう。

気がついたときには先ほどの46のバスより遥かにでかい魚体を

必死で地面に押さえつけていた。

57cmのバス、確かにそのころ池原ダムで日本記録が更新されて

60のバスなんかざらに居る時代にはなっていたがそれでも今自分

の目の前にあるのがバスだとは信じられなかった。

驚きと、魚体確保の疲れでしばらく呆然としていたが、心の底から

嬉しさの感情が湧き出して雄叫びの声を上げさせた。

これが虎の自己最高記録のお話。

ちなみにこの後カメラのフィルムがないことに気づき凄まじく

後悔することになるが後の祭りである。

さらにちなみにこの一週間後に虎は中の池53cmのバスを

釣り上げるがこのときも撮影に失敗している。(←アホスwww)

その自己記録更新事件により虎はルアーででかいバスを釣る

ことにこだわりを持つようになっていく。

これと同時期に釣り番組を見るようになりテレビ大阪の「The・Fishing」

で並木敏成氏の釣りを見てから彼のスタイルを目指すようになる。

そして中3に虎の釣りはさらに深みを増していくがもう眠たいので

次回に、それではおやすみ。


2007年 12月 27日 (木)

4枚の写真で語る岩出の虎史。〜先史時代編〜


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1トーマスが大好きでした。
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2 後ろの川は日置川
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3 若干顔が引きつってる
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4 こっちも引きつってる
みなさんこんばんは、虎です。

前回から年末企画として今年を振り返ってみた

わけですが、今回はさらにさかのぼって虎の釣り歴史

を振り返ってみようと思います。

本来こういう企画は高校卒業記念とかにやりそうです

が、ちょっと過去の写真あさってたら異様にテンショ

ンが高くなった虎が勢いでやり始めたことなんだ。

許してやってくれ。

で、内容を「誕生から小学校卒業まで」、「中学時代

」「高校3年間」の三つにわけて紹介しようと思いま

す。今回は「小学校卒業まで」を振り返ってみたいと

思います。

まず1枚目の写真にご注目ください。

これは虎2才のときの写真。和歌山に引っ越してきて

間もない頃です。

あたりまえですがこの頃釣りなんかしてません。

そしてこの頃の記憶なんかまず覚えてないので特に

エピソードはないです。

兄さんに聞きたいんですが虎の本名は兄の幼稚園時

代の親友からつけたと聞いたんですが確かなのでし

ょうか?

2枚目をご覧ください。川で遊んでいる虎少年です。

このブログでもたびたび登場する日置川はこの頃か

ら親しみがありました。

なにやら挑戦的な目をしているのは仕様です。

この頃から父や兄にくっついて釣りをするようになり

ますが、釣れない→竿の扱いが乱暴になる→仕掛け

が絡まる→ほどけない→キレて泣く、の悪循環スパイ

ラルが日常茶飯事でしたので釣りは少々好きにはなれ

ませんでした。

ちなみに虎は釣りをしてる人間とは考えられないくらい不器用で

(実際小6まで靴紐すら結べなかった)、今なおその不器用ぶりは

日常生活でいかんなく発揮されてます。

3枚目、白浜でゾウガメとの一枚。おそらく小2くらいこのころから手

足が長くなり始める。同時に生物というものに興味を持ち始める。

4枚目、人生で初めてブラックバスに触れた瞬間。

ちなみにこれは兄が釣ったバス。

顔が引きつってるとか以前に上下のプーマの服が懐かしすぎて泣いた。

この後、兄に誘われてバス釣りを始める訳なのだがこのころ(小3〜4)

まではいたって普通に釣りをしていてどっぷりとはまり込んだのは小6

から。小5のときにガンダムのほうにどっぷりはまってしまって外に出

ない日が続いたが、先ほどの写真の池(小学校のすぐ裏)で再びバスがつ

れ始めてから徐々に釣りに目覚めていく。

そして、中2のときのある事件をきっかけに彼は自分の才能に気付き

加速的に釣りの世界にのめりこんでしまうがその話はまた後日。


2007年 12月 26日 (水)

今年を振り返って・・・


 はいどーもお久しぶりです。虎です。

 残すところ2007年も一週間をきりましたね。

 今日から年末企画として単純ではありますが今年の釣りをまた様々な

 ことをを振り返ろうと思います。

 でも今年一番思い出深いことといえばこのサイトをたちあ

 えげたことですよ。なんといっても。

 ではなぜこのブログを始めようと思ったのか、コレを今回皆様に語ろ

 うと思います。

 ことの始まりというのは我が父が副業でネットの仕事をしてるのです

 が(自分もどういうことをしてるのかは詳しく知らない)、最初は

 ゲームのプレビューサイトから始まったんです。

 ただただ単純にこのゲームをやりました、「こうこうこういうところ

 が面白かったです」と書いてそのゲームの広告を載せる。

 で自分はゲームを実際にやってプレビューを書くことを父に命じられ

 たわけですが、まぁこの文章力のなさに定評のある虎ですから恐らく

 なんにも利益でなかったと思います。

 2、3個やって気がついたらサイト自体なくなってました。

 でそのあとに我が父に「どうせやるなら釣りのサイトを作りたい」と

 言ってみたんですよ。それが後にこのサイトなんですが、なぜか

 いい始めてから出来上がって第一回更新までに2ヶ月くらいかかった

 んですよね。

 たぶん向こう(父)の仕事の都合上準備がはかどらなかったのもある

 と思いますが、自分も正直父任せにしすぎてた面もあった。

 それは認める。

 しばらくしてこのブログの名前とアドレスを決めろといわれて、

 どうせならアルファベット3文字で表記できるようにしたかった、

 (例 FBI=アメリカ連邦捜査局、nWo=ニュー・ワールド・オーダー)

 で最初に思いついたのが「BFR=バスフィッシングラボ」だったと思う

 和訳するとバス釣り研究所。しかしなんかかっこ悪い。

 和訳すると漢字で全部かけるような名前にしたかった。

 あとどうせ書くならバスに限らず釣り魚全部を対象にしたかったから

 米国で釣り魚を表す言葉「Gamefish」という言葉を直訳して

 「遊魚」にした。

 そして研究所を意味する語「ラボ」という言葉もなんかかっこ悪い

 と感じたので観測所を意味する「Observatory」という語に変えた。

 最終的に「和歌山遊魚類観測所」

   (GOW=Gamefish Observatory of Wakayama )

 となった。アドレスもk-gow.netにしてとても覚えやすくした。

 しかしここで疑問が生まれる。

 このブログの正式名称は「和歌山遊魚類研究所」だ、

 これでは意味が通らない。

 なぜこうなったのかというと答えは単純明快。

 我が父が打ち込むときに勘違いしてたのだ。

 やってくれるぜ我が父は

 ちなみにアドレスのkは虎の本名(下の名)の頭文字だ。

 そんなこんながあってこのブログが第一回更新したのは4月29日

 今さっきみてきたがアレだな。文章の雰囲気が違う。

 たぶん最初は兄のサイトを参考に文章作ったのとブログできて変に

 テンション上がってたせいなんかなと思ったが、よくよんだらそんな

 変わってなかったわ。

 で第二回の更新で始めての釣行のレポート。今見てみると今より全然

 マシな文章かいてることに気づいた。

 しかも初めて載せた写真は我が父のアマゴ。

 ホントやってくれるぜ我が父は

 それ以降春夏は釣果&写真がかなり充実した、今見てもなかなか見ご

 たえのある記事ばかり。

 でも最初はコメントくれんの我が兄(備長炭)のみだったからなあ、

 今はほかに二人ほど固定メンバーいるから楽しくやらせてもらって

 ますよ。まったくのほほんとした記事ばかりで申し訳ないですが。

 最後にもう一語り。なんで自分のHNが「Iwadeの虎」なのか。

 コレを説明したいと思います。

 中学時代に自分はソフトテニス部でいつも虎と書かれたキャップ(今で

 も被ってる)を被って練習してました。

 あるときガンダム好きの同級生に「お前はさしずめニ中の虎やな」

 といわれたのがきっかけです。  

 コレが公式で使われる自分の呼称となったのがテニスの郡大会の時。

 ほかの中学の生徒とは試合中以外は結構普通に話ができるので、

 まずそこで「虎の帽子を被った岩出二中の〜(←本名)君」と覚えられ
           ↓
      「ニ中の虎の〜(←本名)君」と省略され、仲良くなると
           ↓
        「ニ中の虎君」となり、最終的にメアド交換するくら

 いになるとケータイ登録の時に「本名何やったっけ?」といわれる

 ぐらいにこっちの名前が浸透した。

 でテニス部引退後に釣り系のサイトに始めていったときにHNを

 何にしようか迷ってに上の名前を「Iwadeの虎」に変えたのが最初。

 自分自身、虎の帽子とこの名前は中学時代に友達を作るうえで非常に

 お世話になったので今でもこの名前を使っています。

 実際釣りの現場でも地元の小中学生から虎さんまたは虎のお兄さんで

 ところどころで有名になった。(小坊の前で40とか釣ったりして)

 この帽子無しではなかった出会いはいくつもあり、顔立ちが普通の自

 分には人に自分をアピールするためになくてはならないものだった。

 そしてこれからもこの帽子が自分に良い出会いを運んでくると信じて

 今もこの帽子を被って自分は釣り場に立っています。


2007年 12月 16日 (日)

そんなに俺みたいな顔っているのか?


 やっと今週2学期が終わるんだがどう思う。

 「聞かれても…」って思うよね普通、虎です。

 最近「DTXMania」というパソコンのゲームにはまっています。

 本来このソフトはYAMAHAの電子ドラムの練習ソフトだったのですが、

 フリーソフトでなおかつ曲データが作りやすいのでゲーセンの音ゲー

 でなかなか無いはアニソンとかの曲でもデータを作ってプレイできる

 とてもおもしろいシロモノです。

 自分は曲データを作れないのでググってとってきてます。

 先ほど述べたように本来このソフトは電子ドラム練習用です。

 しかし自分はキーボードでプレイしています。

 感覚としてゲーセンのビートマニアみたいな感じ。

 しかしコレがなかなか面白い

 プレイする曲がアニソンとかだからやたら熱くなるしできなかったら

 ムキになってくるし、連打は指一本だけだから連打多い曲やると

 指攣りかける。そしてプレイ時のタイプ音がすごくうるさい。

 ここんとこ毎日やってるなあ。

 で今日も家でやってると友達から一本の電話が。

 俺「どうした?」

 友「お前今どこ?釣りしてる?」

 俺「いや、家におる。」

 友「いまさっきめっちゃお前に似てた奴おったぞ、(名字)〜って

 呼んでもたし。」

 実はこの話、虎は過去に何度も聞いたことある。

 あるときは学校内で、あるときは近所で、あるときは隣町で、

 あるときは大阪で。虎とそっくりの人物をみたという証言が何度も。

 そして大抵目撃者が話しかけてきたとき

 「虎〜におったよな?」

 と、その人物が俺であることを疑わない口調で話し始める。

 しかもちゃんと訂正できればいいのだが、あるときバイト先の女の

 子からバイト中に

 「虎君って彼女おるんやろ?」っと話しかけられたことがある。

 カッターで指切った

 なにやら別の子が「虎が結構前に女の子と歩いてた」→「彼女いる」

 的な話の膨らみ方をしてその子に話したらしい。

 確かに人生で一度だけ女の子と二人きりで外出したことあるさ!

 二次元の娘を俺の嫁といったこともあるさ!!

 しかしそれは断じて俺じゃねぇぇ!

 俺は高らかにいうぞ俺に彼女はいねぇ!!

 とりあえず、その女連れてた俺のドッペルゲンガー今すぐ表に出ろ!

 そして20発ほど殴らせろぉぉぉぉぉぉぉ!!(血の涙)

 なんで顔一緒なのにドッペルに彼女いて俺にはいないんだよ!!

 バッキャローーー!!


2007年 12月 15日 (土)

今宵もアンニュ〜イ


 そ〜れそ〜〜れ乳酸菌飲料!ハイッ!!

 虎です。今宵はボブ宅から更新となります。

 そうです只今僕は「水銀燈の今宵もアンニュ〜イ」聞いてます。

 釣り?もちろん今週も行かねぇよ。

 ほんと今週あたりは寒さがいっそう強くなって外に出たくないです。

 そんな寒い日は自分の部屋でぬくぬくとカップラーメン食いながら

 ニコニコかVIPに行くのに限りますねぇ〜。

 はいそこダメ人間乙とか言うな。

 ・・・・・・・・・・・・もうしゃべることは無いです。

 そうそう、お金ホント無いです。というわけでカウボーイビバップは

 見れそうに無いです、兄さん。

 今思えばもうすぐ2学期も終わりですね。だからどうということはな

 いのですが、もう3学期は全然ないし事実上の高校生活終了のお知ら

 せな訳で、まぁあれだ若干さびしいかなといった漢字かな。

 とりあえずニコニコ一周年おめでとうございます。


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