はいどーもお久しぶりです。虎です。
 残すところ2007年も一週間をきりましたね。
 今日から年末企画として単純ではありますが今年の釣りをまた様々な
 ことをを振り返ろうと思います。
 でも今年一番思い出深いことといえばこのサイトをたちあ
 えげたことですよ。なんといっても。
 ではなぜこのブログを始めようと思ったのか、コレを今回皆様に語ろ
 うと思います。
 ことの始まりというのは我が父が副業でネットの仕事をしてるのです
 が(自分もどういうことをしてるのかは詳しく知らない)、最初は
 ゲームのプレビューサイトから始まったんです。
 ただただ単純にこのゲームをやりました、「こうこうこういうところ
 が面白かったです」と書いてそのゲームの広告を載せる。
 で自分はゲームを実際にやってプレビューを書くことを父に命じられ
 たわけですが、まぁこの文章力のなさに定評のある虎ですから恐らく
 なんにも利益でなかったと思います。
 2、3個やって気がついたらサイト自体なくなってました。
 でそのあとに我が父に「どうせやるなら釣りのサイトを作りたい」と
 言ってみたんですよ。それが後にこのサイトなんですが、なぜか
 いい始めてから出来上がって第一回更新までに2ヶ月くらいかかった
 んですよね。
 たぶん向こう(父)の仕事の都合上準備がはかどらなかったのもある
 と思いますが、自分も正直父任せにしすぎてた面もあった。
 それは認める。
 しばらくしてこのブログの名前とアドレスを決めろといわれて、
 どうせならアルファベット3文字で表記できるようにしたかった、
 (例 FBI=アメリカ連邦捜査局、nWo=ニュー・ワールド・オーダー)
 で最初に思いついたのが「BFR=バスフィッシングラボ」だったと思う
 和訳するとバス釣り研究所。しかしなんかかっこ悪い。
 和訳すると漢字で全部かけるような名前にしたかった。
 あとどうせ書くならバスに限らず釣り魚全部を対象にしたかったから
 米国で釣り魚を表す言葉「Gamefish」という言葉を直訳して
 「遊魚」にした。
 そして研究所を意味する語「ラボ」という言葉もなんかかっこ悪い
 と感じたので観測所を意味する「Observatory」という語に変えた。
 最終的に「和歌山遊魚類観測所」
    (GOW=Gamefish Observatory of Wakayama )
 となった。アドレスもk-gow.netにしてとても覚えやすくした。
 しかしここで疑問が生まれる。
 このブログの正式名称は「和歌山遊魚類研究所」だ、
 これでは意味が通らない。
 なぜこうなったのかというと答えは単純明快。
 我が父が打ち込むときに勘違いしてたのだ。
 
やってくれるぜ我が父は
 ちなみにアドレスのkは虎の本名(下の名)の頭文字だ。
 そんなこんながあってこのブログが第一回更新したのは4月29日
 今さっきみてきたがアレだな。文章の雰囲気が違う。
 たぶん最初は兄のサイトを参考に文章作ったのとブログできて変に
 テンション上がってたせいなんかなと思ったが、よくよんだらそんな
 変わってなかったわ。
 で第二回の更新で始めての釣行のレポート。今見てみると今より全然
 マシな文章かいてることに気づいた。
 しかも初めて載せた写真は我が父のアマゴ。
 
ホントやってくれるぜ我が父は
 それ以降春夏は釣果&写真がかなり充実した、今見てもなかなか見ご
 たえのある記事ばかり。
 でも最初はコメントくれんの我が兄(備長炭)のみだったからなあ、
 今はほかに二人ほど固定メンバーいるから楽しくやらせてもらって
 ますよ。まったくのほほんとした記事ばかりで申し訳ないですが。
 最後にもう一語り。なんで自分のHNが「Iwadeの虎」なのか。
 コレを説明したいと思います。
 中学時代に自分はソフトテニス部でいつも虎と書かれたキャップ(今で
 も被ってる)を被って練習してました。
 あるときガンダム好きの同級生に「お前はさしずめニ中の虎やな」
 といわれたのがきっかけです。  
 コレが公式で使われる自分の呼称となったのがテニスの郡大会の時。
 ほかの中学の生徒とは試合中以外は結構普通に話ができるので、
 まずそこで「虎の帽子を被った岩出二中の〜(←本名)君」と覚えられ
           ↓
      「ニ中の虎の〜(←本名)君」と省略され、仲良くなると
           ↓
        「ニ中の虎君」となり、最終的にメアド交換するくら
 いになるとケータイ登録の時に「本名何やったっけ?」といわれる
 ぐらいにこっちの名前が浸透した。
 でテニス部引退後に釣り系のサイトに始めていったときにHNを
 何にしようか迷ってに上の名前を「Iwadeの虎」に変えたのが最初。
 自分自身、虎の帽子とこの名前は中学時代に友達を作るうえで非常に
 お世話になったので今でもこの名前を使っています。
 実際釣りの現場でも地元の小中学生から虎さんまたは虎のお兄さんで
 ところどころで有名になった。(小坊の前で40とか釣ったりして)
 この帽子無しではなかった出会いはいくつもあり、顔立ちが普通の自
 分には人に自分をアピールするためになくてはならないものだった。
 そしてこれからもこの帽子が自分に良い出会いを運んでくると信じて
 今もこの帽子を被って自分は釣り場に立っています。